自由に自分の行き方を選べる人生をお客様に提供します

 

皆で幸せになる

皆を幸せにする

皆で豊かになる

 

人を育てる幸せな未来を作ります

ルレアヒーリングアーツの活動 

講演活動、企業講演、メディア、病院での活動、学校での活動などこちらをご覧ください

ルレアヒーリングアーツの活動

講師プロフィール

 

1955年 大分県別府市の病院で産まれる(産土神社:朝見神社)

1982年 文化庁国内留学生として東京へ行き、結婚・出産。

1990年 植物オイル療法・アロマテラピーを学び実践。

1992年 東京のハーバートハウスにてアロマテラピー講師を務める。

1993年 福岡市に移住し、九州初のアロマテラピースクールを開講。

     本格的にアロマテラピーを伝える。

2016年 「ハワイワイワイツアー」を皮切りに、人生を変える旅のプロデュースを開始。

2017年 宇宙脳研究所設立 スピリチュアル活動を推進する。 

 

 

<< アロマテラピーや自然療法のプロとしての実績 >>

・自然療法・ストレスマネージメント歴 30年

・九州初のアロマテラピースクール開講 24年

・ルレアヒーリングアーツ会社歴 25年

・講演・セミナー受講者 10万人以上

・アロマテラピーカレッジ・セラピーカレッジ卒業生 1600名以上

(外部の学校を含めると約5000人)

・個人セッション数 6万人以上(無料も含む。有料のみ、3万人以上)

 

 

<< 取得資格 >>

資格があればよいうと言う訳ではありませんが、自分の成長の為、皆さんにお役にたちたくて

子育て中の身でありながら、世界各地で勉強してきたものです。

 

 

・公益社団法人日本アロマ環境協会 アロマセラピスト&インストラクター(2018年3月まで)

・英国IFA認定主任講師(No.P/0189)

・英国IFA認定アロマセラピスト M.I.F.A.

・英国ITEC認定アロマセラピスト

・英国ITEC認定マッサージセラピスト 

 

・英国ITEC認定リフレクソロジスト

・英国IEB認定リフレクソロジスト

・英国BSR認定リフレクソロジスト 

 

・一般社団法人分子総合医学美容食育協会 ファスティングマイスター

・シータヒーリング・プラクティショナー

・結晶の花(パステル)聖花 マイスター&グランマイスター

・結晶の花(パステル) ステンドグラスクラフトインストラクター

・タッチフォーヘルス(Level1) 

 

・現代霊気法 レイキマスター

・TDE式調整師 

 

その他「インディアンヘッドマッサージ」「ベビーマッサージ」「妊婦の為のセミナー」「バッチフラワー」など

数多く受講し、常に最新の知識と技術をお客様に提供し続けております。

 

 

望まれない子どもだった私

私は母のお腹にいる頃から、望まれない子供でした。生まれても父親は病院に一度も来ず、名前もすぐにつけらませんでした。それは、男の子でなかったからです。子供の頃の私はおてんばで男の子とばかり遊んでいました。無意識に男の子を演じていたのかもしれません。両親はとても厳しく仲の良くない夫婦でした。その間に立ち私はいつも悩んでいました。父の仕事の関係で、小学校の転校が4回。ほぼ1年ごとに変わる学校に慣れず、いじめにあったこともありました。 

 

 

「女に教育は要らない」

父は「女に教育は要らない」という考えの人でした。例えば、高校受験はさせてもらえたのは1校のみ。ごく普通のサラリーマン家庭で貧しいわけではなかったのですが、滑り止めを受験することは許させれず失敗したら就職するように言われました「好きなように部活をしても良い」とは言われましたが、高校時代の門限は5時。片道1時間の通学時間では部活に顔を出してすぐに帰宅するしかないという門限時間でした。

 

 

全てを諦め父と母に尽くす日々

大学受験の頃、母が心臓病で倒れたため私は進学を諦め母の看病と父の面倒を見ることになりました。父の方針で「働かざるもの食うべからず」で母の看病をしながら就職しました。幸い心暖かい会社に勤めることができ仕事と看病を両立することができました。大人になって就職してからも私の門限は7時という厳しい状況は変わることはありませんでした。

 

 

絶望の人生

そんな自分で選ぶことのできない人生に私はいつしか絶望していました。母の命は助けたかった。でも自分の人生を生きることを諦めた辛い気持ちに押しつぶされそうになり、毎日泣いて暮らしていました。先に姉が嫁ぎ家を出ると「後継はあなただから」「結婚しなくてもいいから一生家にいて」と言われ、頭の片隅に自殺願望があったのを覚えています。

 

 

認められるという喜び

「自分の人生を生きられないならせめて仮想でもいい。他人の人生を生きる体験をしたい!」と、アマチュア劇団に入団しました。主役に抜擢されるようになり生まれて初めて「認められた」感覚を味わいました。演劇の世界はとても厳しいものです。褒められるようなことは滅多にありません。それでもその頃は「私をちゃんと見てくれる人がいる。叱って育ててくれる人がいる」とありがたいという気持ちしかありませんでした。

 

 

「自由とは何か」を知る

27歳の頃文化庁の国内留学生として演劇で東京へ修行に行くことになりました。お世話になった新劇の劇団では嘱託扱いだったので、舞台には立つことはなく、その間にもあまりにもいろんなことが起こり演劇を辞める決心をしました。そして、大きな決断をした自分の頭を整理するため、2カ月有効の飛行機の往復切符を持ってオーストラリアに一人旅に出かけました。子どもの頃から憧れていた初めての一人旅。英語もろくにできない状態ではありましたが、エアーズロックを訪れたかった私が選んだのはアウトバックツアー。赤土の砂漠で自分でテントを建て寝袋で眠る。野犬と目が合い命を落とすことを覚悟した夜。エアーズロック登頂当日は高熱を出し、仲間に助けられながらなんとか登頂することができました。砂漠で満点の星空の下29歳の誕生日を迎え、溢れてくるような星空を眺めながら「自由とは何か」を知ったのでした。

 

 

 

故郷を離れ結婚、就職、出産、そして退職

旅を終え帰国してからの私は故郷に帰らず東京に住むと決め、就職し、結婚し、子供を産みました。就職先は外資系の会社。真夜中まで仕事するのがあたり前の時期もありましたが、設立当初だったので総務の仕事全般を学ぶことができました。役職も頂きましたが、息子は二重保育(5時から8時まで保育園後、個人の家庭で面倒をみてもらう)で育てておりましたが、2歳の子供にこれ以上負担をかけたくないと退職を決意。それを機に、東京を出ることを夫婦で選択しました。

 

 

アロマテラピースクールとの出会いは息子の病

私がアロマテラピーに出会ったきっかけは息子が病気になったことでした。お世話になった病院の方針で、息子が手術をするときに立ち会うことができず、何もしてあげられない自分の無力さに心が苦しく「何もできない母から何かができる母になる」ことを決心したことが始まりです。東京在住だった1990年に「植物オイル療法」から学び始め、当時日本で唯一のアロマテラピースクール「ハーバートハウス」の栗崎小太郎先生から本格的にアロマテラピーを学び講師もさせていただきました。さらに本格的な学びを求めてイギリス・アメリカ・香港に足繁く通い知識や技術を日本へ持ち帰りました。

 

 

1994年九州発のアロマテラピースクールを開校

福岡に移住後の1994年、九州で初のアロマセミナーを開講。その後新聞社、情報誌、ホテル、企業など多くのご依頼がありセミナーを開催しました。また、NHKの朝の番組で準レギュラーとしてアロマテラピーをご紹介。九州のたくさんの方にアロマテラピーの魅力と可能性をお伝えする機会を得ることができました。アロマテラピーとの出会いを作ってくれた息子は、アロマテラピーのおかげもあり小学生になる頃には元気で丈夫な体になり病院とは無縁の生活を送ることができるようになっていました。植物の香りが深く心に染み渡り、そして触れる手は心の奥まで触れていくということを息子や生徒さんを通して確信しました。探究心と好奇心の強い私は、もっと家族、生徒さん、クライアントさんのためにできることはないか探求していく中で「子どもの頃にできた私自身の心の傷が人を根本的に癒すことを邪魔している」ということに気づき、本格的にストレスケアを学び始めました。

 

 

エネルギーワークを習得し心・体・脳の深い部分にアプローチ

ストレスケアについて学んでいく中で、アメリカで「キネシオロジー」という手法に出会い、アメリカに1ヶ月半滞在し資格を取得しました。キネシオロジーのおかげで私自身子どもの頃に経験したいじめや両親からの厳しい抑圧のもとで解放できなかった自分の気持ちに向き合い、自分の人生を楽に生きられるようになりました。アロマテラピーとキネシオロジーを融合することで、夫婦関係の悩み、不登校のお子さんの学校復帰、原因不明の体調不良からの解放などお客様の多くの問題を解決するお手伝いをできるようになりました。今ではご相談内容の90%以上のケースについてクライアントさんと一緒に問題を解決できるようになり、「本当に人生を楽に生きられるようになりました」「諦めかけていましたが、徐々に状況が良くなっていてびっくりです!」という感謝のお声をいただけるようになりました。また、クライアントさんと深く関わる中で自然とご家族を紹介され家族ぐるみで長くお付き合いさせていただけることが多くなりました。その後も「バランスアーツ」や「TDEエネルギー」を学び、心や脳のより深い部分にアプローチするエネルギーワークを身につけ、ストレスから来る「心・体・脳」の深い部分までケアできるようになりました。

 

 

私が解決しないほど問題が自然と良くなっていく

これまで25年間で3万人以上の方へ背術を提供し、海外に何度も足を運び専門的な知識を徹底的に習得してきました。どんなことを試してみても良くならなかった問題をクライアントさんと一緒に解決していけるのは、あることを大切にしているからだと思います。それはクライアントさん自信が「気づき」「学び」「自立して問題を解決できる」ことを知ることです。私はそのお手伝いに徹するだけなのです。「自分で問題を解決した」という体験は自分自身を愛し信じることに繋がります。もしあなたが人にはなかなか打ち明けられない悩みがあるのでしたら、ぜひ一度サロンまでご相談にいらしてください。私は100%の愛でできる限りを尽くし最善のサポートをさせていただきます。触れることや香りの素晴らしさ、自分自身に問いながら問題を解決する力、解決できない問題はないかもしれないと感じるエネルギーワーク。あなたにぴったりの問題解決法をご提案できます。

 

 

命を失うかもしれないという体験

2015年命を失うかもしれないという体験をしました。その時に気づいたいのです。私にはまた今世でやらねばならないことがある、と。それは「みんなで幸せになる」「みんなを幸せにする」「みんなで豊かになる」ために、同じ志を持つ人たちに私が身につけた知識の全てを惜しみなくお伝えしていくということ。その決意をした時、私はもう一度自分の人生を生きることができました。

 

 

これからの原藤華の活動

これまでの背術者としての活動に加え、「自分の人生は自分自身で選べる」ということをより多くにみなさんにお伝えしていく活動に注力していきます。具体的には「人生を変える旅」をプロデュースし、みなさんとご一緒に世界中を旅します。私の信頼する旅仲間とともに世界中の素晴らしいエネルギーを持つ場所を訪れ、人生を変える時間・空間・仲間づくりをしていきます。また、受講生からの希望により「経営」という視点からセラピストのためのビジネスマインドセミナーも開講しました。さらに、2017年に開発しましたオリジナルセッション「天使の羽ヒーリング」では4ヶ月で述べ100名以上の方にセッションを受けていただいた実績を経て、100年セラピストの育成の観点から「天使の羽ヒーリングセラピスト養成講座」も開講し、「好きな仕事で食べていけるセラピスト」を応援しています。100年セラピストを一人でも多く育成していくことは私のワークライフでもあります。